第一機会:月見橋を伝統的な和風橋に建て替える

要旨
現在の魅力のない鉄筋トラス橋を純和風橋に建て替える。岡山市の観光産業が助かる最高の望みである。

次の写真: 現在の月見橋


次の写真: 錦帯橋(山口県・岩国市



次の写真: 現在の月見橋風景



次のイメージ: 想像の風景(京都・嵐山の渡月橋のイメージを入れ替えて)。この伝統的な木造の橋、いかがでしょうか:




理由
後楽園 は岡山市で最も知られている観光スポットである。 岡山城 は市の象徴になる。残念ながら、これらを接続している橋は錆びた鉄筋トラス橋で、建築面から見れば全く城と庭が一体化しておらず、ただ一方から一方へ渡るという目的だけを果たしている。例でたとえれば、まるでルビーとサファイヤが鈴のチェーンで繋がれているようなものである。これを伝統的な橋を変えれば、何を変えることよりも、このエリアの再生を触媒し、岡山の観光目的地としてのプロファイルを上げるはずである。

次の3枚の写真: 今日の月見橋の近接写真




岡山城をこの鉄籠から解き放とう:



月見橋の建て替えにより、プラスになるであろうお店:


現在、岡山市を訪れる旅客たちのほとんどがバスで直接後楽園に到着する。園内見学を終えると、直ぐさま再びバスに乗り込み、倉敷などの他の観光地へ移動する。岡山城や他の観光名所である、林原美術館などへ行くための月見橋を渡ることはない。結果として、後楽園に訪れる旅客のほとんどは、岡山市内で夕食や宿泊はすることなく、移動した先の場所で、お金を使っていることになる。この実態の一番良い解決策としては、月見橋を見せられる橋として再建し、橋そのものを名所にし、後楽園以外の岡山城などの観光地に、月見橋を渡り訪れてもらうことである。岡山での訪問地が増えることは、もっとたくさんの旅行者が岡山に泊まってくれるということになる。

この提案に関して、今まで歴史的にここに日本的な橋を建てたことがないので、別に必要ではないかという反対意見も出ると思う。ここは思い出してほしいのは、歴史は人間が創造するものである。例えば、アメリカ西海岸、カリフォルニア州のサンフランシスコの名所として、何を思い出すだろう。1930年代になるまで、サンフランシスコにはゴールデンゲートブリッジ(金門橋)はなかったが、今ではこの橋は最も有名な公共の建造物として知られている。またオーストラリアのシドニー市にあるハーバーブリッジは1932年まで存在しなかったし、オペラハウスは1973年まで建てられなかった。今ではこれらの名所を見ないでシドニーへ旅行に行ったとは想像しがたい。先に挙げたこれらの建築物はすべて近代的デザインであるが、伝統に忠実な建築物を作っても前に進歩できる。これと関係する例は、香川県高松市の四国村である。四国村は、1976年に公開され、四国中から伝統的な建築を集めた。四国村には古い建物ばかり集まっているが、この特徴こそがより時間が経つにつれて、ますます旅客の興味を集めるだろう。

説明
祝われるべき橋
月見橋の再建は、岡山に特有の名所を作り、観光地としての名声を劇的に高める唯一の機会をを提供するだろう。従って、最高の美しさと技術を用い、自然の材料が使用された作品を置くことが必要である。近くの鶴見橋のような、ただおざなりな、上辺だけの伝統的なスタイルを真似たセメントやスチールで作られた橋は避けなければなりません。日本の伝統なデザインが条件でありながら、このプロジェクトの建築家は、高注目を集める国際的な競争により選ばれるべきである。


次の4枚の写真: 後楽園正門に通じる、鶴見橋。遠目から、この橋は魅力的な伝統的和風橋に見える。しかし、すぐそばから見ると、片側はプラスチックで覆われていて、もう片側は偽木目調で模様が刻まれ、塗装されているのが分かる。それぞれの写真をクリックすると拡大する。






月見橋が再建されることになったら、鶴見橋のように低予算の範囲内で上辺だけの伝統的な橋を造るのは避けなければならない。私の意見では、鶴見橋のような橋を建てるのであれば、今のままで残す方がまだいい。もし橋の再建が実現したら、その構造は、人々から大切にされ、賞賛され、その周辺をも根本からガラッと変えてしまう橋はそれは遺産として位置づけされるべきである。これを実現するためには一つの方法しかない:できるだけ高く目標をかかげることである。後楽園や岡山城よりも美しい橋を建てる、いや、日本の中で一番美しい物を建てる。自然に恵まれている立地で、新月見橋は岡山の歴史的な中心部の最大の呼び物になるのは当たり前でしょう。


次の3枚:江戸東京博物館の木造日本橋の模型




融資
もちろん公共と民間からの融資の組み合わせなしには、このような橋の建設は実現しない。特に、岡山の「財政危機」の中で、創造的な解決を考えつかなければならない。この関係の中で、アメリカのペンシルバニア州のピッツバーグ市から例を取ってみよう。1930年代の大恐慌の中で、最低限の予算をかけてピッツバーグ市民は「学びの大聖堂」を建設した。未だに市の大学のアイコンとなっている。

次: ピッツバーグ大学の「学びの大聖堂」(1937年)


この事業のために公共融資がほとんどなく、ピッツバーグ市民が一致団結して、民間の寄付によって財政は助けられた。「レンガ一個を買って」キャンペーンを通して、97,000人の市民(その当時の人口の約1/7)がこの事業に寄付した。岡山にこの遺産的橋を実現するには、市と県が「木材一本を買って」キャンペーンを行い、住民や企業をこの事業主の一部として参加させれば可能になるではないでしょうか。もし岡山の市長か県知事が協力を求めてきたら、あなたや私が一番最初に参加して月見橋のために木材一本を買いましょう。

他の場所または時代からの例
このセクションをまとめるために、他の場所にあるもしくは過去にあった伝統的な日本の橋をチェックしてみよう:

次の2枚の写真: 渡月橋 (京都・嵐山). 下から光をあびて、昼間よりも数段夜の眺めが美しい。



次の2枚の写真: 錦帯橋(山口県・岩国). 急な湾曲は息をのむような眺め、がしかし、毎日使う人にとっては少し不便!



次の2枚の写真: 北アメリカの日本庭園に作られた、小規模の橋。緩やかな湾曲は毎日の利用者に優しそう。



次:神橋(栃木県・日光)


次:天女橋(沖縄県・那覇)


次の5枚の絵: 広重によって描かれた江戸時代の浮世絵の橋。






旭川の東側の高層建築物を制限
岡山城のある区域の美点の一つは、城の東側には城や橋を邪魔する高い建物が実際ないことであろう。後楽園の存在のおかげで、少し離れた丘をも取り入れた、傷のない水平に広がる緑樹、石山公園周辺からの東区域が眺められる。 桃太郎通りの騒がしい交通や高い建物のすぐ近くにあるにも関わらず、まるで人里離れた森かまた遠い昔へ戻ったように感じる。人々を日常体験を超越させる能力がここには備わっている。それは公園としての最高の役目でしょう。まだ手が加えられていないこの眺望を残すために、後楽園と岡山城の東側には建物の高さを規制するべきである。このすばらしさを未来の世代へ引き継ごうではありませんか。

月見橋東側に目をやると、後楽園と遠くの丘の中腹の緑が、人工的なたった一つの建築物で台無しにされているのが分かる:




これがその建物を取り除いた風景である:



これが建物と橋までも取り除いた眺めである!




以下の航空写真によれば、先ほどの建築物は赤い線が指しているものらしい:



次は平面にある建物を見てみましょう。写真の中央に写っている、月見橋から見た高層マンションに気づいていただきたい(いつものように、写真をクリックすると大きくなる):


このマンションは黄色の線で示されているものらしい。オレンジの線は他の月見橋から見えそうの高い建物を示している


青色で示した範囲に高層建築が建てられる場合、旭川からの眺望を損なう可能性が高い:


観光旅行の利益のため、この地域の土地所有者の利益のため、そして岡山の住民の利益のために、後楽園と岡山城の東に高層建造物の制限を設けよう。特に丘の上に直接建造することを禁止しよう。平面のところは、5、6階建てまではあまり影響がないけれども、10、12階建ては高すぎます。高層ビルはよく溶け込む大通り(例えば桃太郎通りや柳川通り)に集めましょう。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

提案に感激です。私は現在岡山カルチャーゾーンを歩行者天国にしたいと考えています。
一度、お会いして意見交換をしたいです。

匿名 さんのコメント...

鉄骨の造形美があるゲルバートラスの良さが分からないとは残念なことだ。確かに月見橋は旧大師橋や旧戸田橋のような優美な装飾はないが、それなりに美しい橋だ。1934年竣工の長岡の長生橋は、花火大会に欠かせないもので広く親しまれている。日本の城に洋風な橋が合わないというなら、江戸城跡にある皇居正門石橋や皇居正門鉄橋も駄目ということになるではないか。

Unknown さんのコメント...

確かに、日本橋や錦帯橋のような和風木造橋になれば、さらに美しい風景になると思います。